写真で日々綴る、不連続な手紙
|
2009.11.01 .Sun 01:21
M.Zuiko digital 17/2.8
アイ・ウェイウェイ氏の作品。
タイトルは忘れてしまったんだけど、月のなんとか、とか、そんなような・・・
(よって、私のこの記事のタイトルは、この作品のタイトルではありません。)
きれいな円形の穴を開けた木箱みたいなもの(この穴は、床から140センチくらいのところ)をずっと並べて配置し、
少しずつズレながらずっと続く穴を覗き込む作品です。
穴を覗くのって、無条件に楽しい。
そういう意味で、子供にも見せたい作品。
穴の開いた箱を並べただけという極めて単純な作品といってしまえばそうだが、
この箱一つ一つが中国の伝統技法で緻密に製作されるのが、この作品の…ウェイウェイ作品の真骨頂。
単純な発想を、こだわりを持って作品化する。
イマジネーションだけなら誰でもできるかもしれないが、それを緻密な作業を重ねて作るところに、
彼の価値がある。
とすれば、作品そのものではなく、
過程や動機に意味がある。
存在する作品は、すでに抜け殻のようなものなのかもしれない。
北京オリンピックの「鳥の巣」も、やっぱり抜け殻だったのかなあ。
※本文は、あくまで今回の展覧会の感想です。
そういう意味で、子供にも見せたい作品。
穴の開いた箱を並べただけという極めて単純な作品といってしまえばそうだが、
この箱一つ一つが中国の伝統技法で緻密に製作されるのが、この作品の…ウェイウェイ作品の真骨頂。
単純な発想を、こだわりを持って作品化する。
イマジネーションだけなら誰でもできるかもしれないが、それを緻密な作業を重ねて作るところに、
彼の価値がある。
とすれば、作品そのものではなく、
過程や動機に意味がある。
存在する作品は、すでに抜け殻のようなものなのかもしれない。
北京オリンピックの「鳥の巣」も、やっぱり抜け殻だったのかなあ。
※本文は、あくまで今回の展覧会の感想です。
PR
初めてコメントさせて頂きます。
『観る者が芸術を作る』と晩年のM・デュシャンは言ってます。
アイ・ウェイウェイの作品は「観る」という行為そのものがアートだと示唆してるみたいですね。
ちょうど10年前のヴェネチア・ビエンナーレで彼の作品を初めてみました。「月蝕」の写真が沢山展示されていました。円い月が少しづつ欠けていく様子が見えるのですが、何だかこの作品って似てるようなきがします。
『観る者が芸術を作る』と晩年のM・デュシャンは言ってます。
アイ・ウェイウェイの作品は「観る」という行為そのものがアートだと示唆してるみたいですね。
ちょうど10年前のヴェネチア・ビエンナーレで彼の作品を初めてみました。「月蝕」の写真が沢山展示されていました。円い月が少しづつ欠けていく様子が見えるのですが、何だかこの作品って似てるようなきがします。
→hiroさん
ご訪問とコメント、ありがとうございます^^
>観る者が芸術を作る
なるほど、そちらの角度からは考えてもみなかったです。
観る側からするとうれしい響きを持った言葉ですね。
月食を並べた写真、今回も展示されていました^^。
規則正しく並べられた月の美しかったこと!
月というテーマではいろいろな作品がありますが、この写真の作品も、その写真も、どちらもとてもシンプルながら、心に残る作品でした。
またよかったら、遊びにきてください^^
>観る者が芸術を作る
なるほど、そちらの角度からは考えてもみなかったです。
観る側からするとうれしい響きを持った言葉ですね。
月食を並べた写真、今回も展示されていました^^。
規則正しく並べられた月の美しかったこと!
月というテーマではいろいろな作品がありますが、この写真の作品も、その写真も、どちらもとてもシンプルながら、心に残る作品でした。
またよかったら、遊びにきてください^^
Comment, please.
テンプレート「beige relax」をお使いの方へ
ご注意
当ブログの写真や文章は、特記しているもの以外はすべて管理人の著作物です。著作権は放棄しておりません。無断転載などはご遠慮ください。
個人的に楽しまれる以外に、お使いになりたいものがありましたら、contactなどから一言お願いいたします。
個人的に楽しまれる以外に、お使いになりたいものがありましたら、contactなどから一言お願いいたします。
ブログ内検索