写真で日々綴る、不連続な手紙
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ここのところ、このブログのトップはずっとヒマワリの写真になっていて、
皆さんちょっと食傷気味かもしれませんが・・・
梅雨も明けたし、暑さに免じて、少しだけ話を聞いてください。
using vinyl filter ( handmade )
友人から手紙が来た。
手紙のやりとりは、中学生以来なので、最初緊張していたものの、
気軽に書けるようになってくると、
これがなかなかおもしろい。
ネットのような即時性が薄い分、
何週間も同じページにしおりを挟みっぱなしにした、読みかけの小説のつづきを読むような感覚。
なんとも気長なやりとり。
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さて、その友人は、いつも粋なプレゼントを同封してくれる。
定型封筒に入るような、小さなものだ。
ヨーロッパの切手や、ビスケットくらいの薄さのキーホルダー・・・
あるとき、ヒマワリの種を同封してくれたことがあった。
それを今年の春、蒔いておいたのが、こんな風に咲きました。
この記事、見てる?
いただいた種、こんなにきれいに咲いたよ!
いつもありがとうね。
ヒマワリ=背の高い、大きな花をつけるアレだと思っていたけど、
やや小ぶりな、女の子らしい品種。
かわいいのに、暑い。
using vinyl filter ( handmade )
※3枚目の写真だけ、先日「ヒマワリ」という記事にしてupしていましたが、
こんな風に書き直しました。
記事「ヒマワリ」は、削除いたしました。
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君を誘って、レストランへ行くとして。
どこへ誘えばいいのかな。
どんなものが好きだったっけ。
わたしも君と一緒のときには、
ふたりで煙草を吸うか、
フリスクをなめているか、
そうでなければミネラルウォーターをよく飲んでいた。
やたらといろいろなものを食べなかったのは、
キスの多さでは、どんなボーイフレンドよりも群を抜いていたからかもしれない。
うちで何か作って食べようよ と、君はよく言っていた。
そんな買い物帰りに、
腕の内側同士がふとふれあったとき、お互いにさらっとしていて気持ちがよく、
なんども触れ合わせてみたくなったことがあった。
イタリーの向日葵の映画を見ていたら、
息苦しくなってクラクラした。
向日葵の産毛。
※テキストはフィクションです。
このほか、同じシリーズとして、
" listen " 、 " touch " 、 " feelings " 、 " vision " をupしています。
月が、五線譜にひっかかっている。
わたしは、電線でいっぱいになっている夜空の下を歩く。
わたしの歩調に合わせるようにして
思い出がひとつひとつ 指の間から落ちていって
夜の地面へ溶けていくような気がするので、
ふと歩くのをやめてしまおうかとも思うのだが、
夜とは思えないほどの暑さに、
クーラーが恋しくなっていたので、
そのまま歩いた。
家に着いたら、どうしよう。
また君の声を聴いてもいいのかな。
※テキストはフィクションです。
待ち合わせに少し遅れて行ってみると、
君は錆びたガードレールに所在なさげに腰かけていた。
わたしを見つけると、ゆっくりと立ち上がって、照れくさそうに近づいてくる。
わたしたちはお互いを見ながら数歩歩んで、触れそうな距離に近づくと、
そのまま1本の弧を描くようにその場から離れた。
いつまでこうしていられるかわからなかったから、
君の指の節々や手のひらの固さを確かめ、記憶しながら。
初めて手をつないだときに、手のつなぎ方が一緒だね、と喜んだけれど、
君は誰とどんな風に手をつないできたんだろう。
そして、わたしはどこかで誰かとこんな風に手をつないでいたということを、
そんな風に露呈してしまって、
ああ、あれは牽制だったんだ、と、少し後悔している。
後悔すべきことは、本当に山ほどあるのだが。
※テキストはフィクションです。
PENTAX K100D, SIGMA 17-70mm DC MACRO
夏至。
キャンドルライトが恋しくて、直前まで楽しみにしている割には、
毎年忘れているイベントだ。
今年は特に、大雨が降ったので夏だとか太陽だとか日照時間だとか、
そんなことは忘れてしまったのだ。
さらにその日、ちょっとした事件が起こった。
デパートの地下で、ちびがタイヤキを買ってもらった。
帰りの車で、紙袋から漂うあの独特の香り。
ちびは何度も、タイヤキ一個分の小さなレジ袋に顔を突っ込んで、
その匂いを満喫していた。
家に着いたとき、
玄関口で、傘を自分でたたんだことでひとしきり家族の賞賛を浴びて、
早くタイヤキを食べたいがために、ちびは手を洗いに洗面所へ直行した。
事件はそのあとすぐに起きた。
タイヤキが消えたのだ。
どこを探しても、誰にきいてもわからない。
家族が半笑いで、その日の夜まで捜索したが、タイヤキはみつからないまま。
その夜、私たち夫婦は大雨の中傘をさして、
足元をびしょびしょにしながら車の中、下、道路と、目を皿にしていた。
だが、その翌日。
母が冷蔵庫の肉・魚ケースを開けてみると、
あの、タイヤキ1個分の小さなレジ袋が・・・・
そして、中にはカチカチになったタイヤキが・・・・
誰かが本物の魚と間違えて入れたのかな?
5月、雨のあとに訪れた薔薇のお庭で、写真を撮らせていただきました。
雨のあとの薔薇は、満開のものは雨水の重みでぐったりと下がり、
端がちょっと褐色に変色してしまいます。
そんな傷ついたイメージが一層味わい深く、素敵に見えた午後でした。
その花々はとうに終わってしまったけれど、写真はこうして残っているし、
今、それらを真剣に吟味したりしているのって、なんだかいいな、と思うのです。
そんな風にして、薔薇の写真をスライドショウにまとめました。
よかったらご覧ください。
■スライドショウをダイレクトに再生 → Après La Pluie ( ...au jardin secret )
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PENTAX K100D, SIGMA 17-70mm DC MACRO
逆風ばかりが吹いていたあの頃。
あたし、本当に吹きっ晒しの荒野にひとり立ってる・・・、毎日、そんな気分だった。
それで、もうあたしのことはあたしがかわいがってやるしかないんだ、と思った。
だから本当に、自分を甘やかし続けたんだ。
許せる限りの贅沢を許すくらいしか自分を癒す術を知らなかったから、
知っている限りの贅沢を味わい尽くしちゃってね。
いつしか、贅沢に飢えるようになっていたんだ。
・・・でも、癒すとか癒されるといったことは、
言葉ばかりの問題で、
本当のところ、あたしはただ堕落していたんだと思う。
いろんなことが変わってしまって、
景色がなにもかも入れ替わってしまったけど、
・・・ねえ、月曜病でいるのは、ずっと変わらないままなのよ。
PENTAX K100D, SIGMA 17-70mm DC MACRO
※この物語はフィクションです。
いつもお世話になっているninjaブログのtopページで、
当ブログがお勧めブログになりました。
このブログへ載せる規準(写真の)は、なんだっけ?と、改めて考えてみると、
いい写真とか、ステキな写真とか、そういうはっきりしないものではなく、
「見せたくなる写真」だった、って思います。
(それを皆さんが見たいと思うかは、お任せするとして・・・)
それを取り上げてくださった皆さん、
いつも見てくださってる皆さん、
ふらりと来てくださった皆さん、
どうもありがとう。
こうして、どなたかがいいと思ってくださり、表明してくださったことを糧に、
これからも写真を続けられる という気になります。
その中に、また見せたくなる写真が撮れてるように祈りつつ。
個人的に楽しまれる以外に、お使いになりたいものがありましたら、contactなどから一言お願いいたします。